幼いころからデッサンをしたり、絵を描きたいという欲求にかられていました。おそらく他の子供達よりも洞察力が有り、才能があったのだと思います。それと家庭環境や恩師達が、私を励ましてくれたということが大きな要因になっているかもしれません。
スペインのイビザに滞在したときに、インスピレーションを受け、闘牛や街の風景を描きました。
光の街パリでは、ロンシャン競馬場で競馬を観ましたし、遊園地、サーカスなども、'60年代'70年代に私の作品に影響を与えたテーマです。
それからニューヨークにも10年住んだのですが、この街のモダンさ、この時代の興奮、そして創造性にも影響を受けました。私は何にでも興味を持つ人間なのですが、特にポップアートやコンセプチュアルアートは、私のアートに対する考え方を変えてくれました。消費世界から排出されたくずのようなものから、言葉、音楽、詩、ゲーム、文学など、我々を取り巻いている世界(つまり人類が人類たる証)をキャンバスの上で表現するようになったのです。
それからヨーロッパの都市、北ではブルージュ、アントワープ(共にベルギー)、アムステルダム、ブリュッセル、南ではイタリア、特にヴェニス、ローマ、スペインのコルドバ、セヴィリア、マドリッド…などの街にも影響を受けました。
また、歴史、先史時代、前ルネッサンス期などにもインスピレーションを受けたといえるでしょう。
訪れたそれぞれの街における、歴史的建造物や美術館や街並み、市場、自然の色彩にもインスピレーションを受けました。
まずはジョット、それからピカソ、ブラック、パウル・クレー、シュビッタース、カンディンスキーです。
私の父は商人でした。ハンガリーの大学在学中に、イスラエルにパイオニアとして渡ったのです。
論理的価値観と知性の必要性です。「才能は大いにあっても、あまり働かなければ、何の結果も出てこないが、才能のある者が、一生懸命働けば、大きな結果が生まれる」と言うことです。
コラージュです。日常生活の中で見つけたあらゆる素材、たとえば楽譜の断片や古代の飾り文字、紙屑などの上に油彩、パステル、顔料などを載せて作品毎に異なる物語を語らせるようにしています。
作品の隠された意味と言うのは、おそらく私の家計の歴史に由来しています。私は絶えず、家計の歴史を調べています。先祖は1429年まではスペインに住んでいましたが、その後、長い旅を経てカナンの国、パレスチナのイスラエルへ移り住んだのです。私は無意識に文書を探し、引き裂き、その切れ端を紙やキャンバスに貼り付け、絶えず蘇ってくる私の物語の歴史の足跡や断片を残させるのです。
音楽家になりたかったです。
印象派画家達の故郷であるシベルニーの近くの19世紀に建設された農民の家に住んでいます。私のアトリエは、森の近くの果樹園の中にある古い納屋で、日当たりがよくとても静かです。
5世紀から14世紀にかけて、パレスチナやスペインで霊感を受けた人々によって書かれた神秘の書、カバラ(13世紀にスペインのユダヤ人社会で流布した密教的神知論)です。この書は、神秘的な表現を用いて、転地創造および人間の神秘を解読しようと試みています。この書を読むとインスピレーションを受けるのです。
自らのルーツを大切にし、各地で受けたインスピレーションを作品に追求しようとする画伯の真摯な姿勢が伝わってきました。
音楽家になりたかったという画伯の作品からは様々な素材とともに、彼の思いが調べとなって聞こえてくるようです。
―ニッサン・インゲル画伯、有難うございました―