〜ベザレル美術学校時代〜

時代に翻弄されながらも溢れる洞察力と瑞々しい感性

1931年、商人であるハンガリー人の父と、イスラエルで15代続く家系の一員として育った母のもと、イスラエルの小さな港町ハイファでニッサン・インゲルは生まれた。
幼いインゲルは、学校に通いながら、家ではオペラやクラシックの曲を好んで聴いたり、フルートを習ったりと質の高い芸術文化の中で育っていった。意外にも画伯の芸術センスは絵画に注がれる前に音楽に向かっていたのである。画伯が「音楽は画家の最高の伴侶である」と語っているように、音楽は彼の作品に大きな影響を与えている

ニッサン・インゲル画伯の幼少の頃 ベザレル美術学校時代の画伯

幼い少年頃の貴重な写真
あどけない笑顔がかわいらしい

ベザレル美術学校時代の画伯
特徴的な筆の持ち方は現在と同じ

'47年、16歳になったインゲル少年は、イスラエルの徴兵制度によって軍に入隊し、19歳までの3年間を軍に従事した。軍ではエリートとされる空軍にも属しパイロットとして実際に操縦かんを握り空を飛んだ経験も持っている。兵役が明けた翌年、20歳になったインゲルは、幼少時代より深い感銘を受けていたオペラの舞台美術や衣装といった総合芸術を学ぶために、エルサレムにある「ベザレル美術学校」に入学する。このベザレル美術学校はドイツの国立造型美術学校バウハウス出身の教師が多かった。バウハウスでは、抽象画の第一人者であるカンデンスキーやクレーなどが教授を勤めていたことを思えば、インゲルの抽象画に対する考察は、その巨匠たちの流れを直系だ受け継いでいると言えるだろう。ベザレル美術学校はイスラエルの中でも最先端の芸術文化を学べる名門校であった。

国立東部演劇センター時代 演劇センター当時のスケッチ画

国立東部演劇センター時代の画伯

演劇センター当時のスケッチ画


ニッサン・インゲル バイオグラフィ