〜フランス時代〜

舞台と歩んだ芸術への旅立ち

べザレル美学校術でインゲルは、オペラの舞台や衣装などの舞台芸術だけに限らず、建築も学び、様々な角度から総合的に芸術を学んだ。また、インゲルにとって生涯を捧ぐこととなるコラージュ技法を学んだのもこの時期だった。この頃の彼の作品は、今よりもラインがはっきりとした、グラフィカルな作品が多かった。
在学中のインゲルは、合計7本の舞台の美術や衣装を手がけながら、学費を捻出するために新聞のイラストを提供したり、子どもたちに絵を教えたりと、まさにアート漬けの学生時代だった。

舞台は画伯に立体的で動的な芸術の基礎を教えた。
舞台は画伯に立体的で動的な芸術の基礎を教えた。

ベザレル美術学校を卒業したインゲルは、その後、自分の芸術性のさらなる向上を目指し、フランス、パリに移住する。当時、「全ての国民が芸術歴に豊かになることこそ、国の豊かさに繋がる」と考えたフランス政府は、積極的な芸術政策を打ち出し、1946年から1952年迄のたった6年の間に、日本でいう国立の芸術大学にあたる国立演劇センターを5つのフランス地方都市に設立している。

インゲルはその一つ、ストラスプールにある国立東部演劇センターに所属し、衣装のデザインや舞台衣装に関する設計・厚生・色彩などを学び、総合的な芸術性を磨いていった。

国立東部演劇センター所属中には、イギリス人喜劇作家として有名なシェイクスピアの作品である「マクベス」や、同じくイギリス人作家であるオスカー・ワイルドの「サロメ」、フランス人喜劇作家モリエールの「強制結婚」、その他「セールスマンの死」「クルーシブル」などで有名なアメリカ人作家アーサー・ミラーの作品や「堕天使の恋」で有名なフランスの詩人作家、ジャン・コクトーのバレエ舞台作品など数多くの芸術作品の舞台装置や衣装を手がけ、その才能を惜しみなく発揮している。

また、数多くの舞台装飾や衣装を手がけながら、幼い頃から独学で描いてきた絵画も本格的に創作するようになり、25歳になった1960年、初めての個展をパリのアンドレウィルギャラリーにおいて開催する。この初めての個展が、大きな波紋をよび、多くの人々の心を魅了し、ヨーロッパ中で大絶賛を浴びる大成功を収めたのであった。


ニッサン・インゲル バイオグラフィ